良いミッションとそうでないミッションは何が違うのか

Hiroki Shimada
8 min readDec 22, 2019

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最近のベンチャー企業のウェブサイトには、どこも美しく綺麗なミッションステートメントが書いてある。まるで、ビジョン・ミッション・バリューその3つをウェブサイトに掲げることがITスタートアップ界の法律であるかのように、どこも似通ったことを言っているように思える。

最近は本当にワクワクするミッションを掲げる企業や組織を頻繁には見ないが、良いと思えるミッションにはいくつかの特徴がある。最近、組織のミッションについて考えることが多くなったので、良いミッションとそうでないミッションは何が違うのかについて考えてみようと思う。

良いミッションは明確である。

良いミッションは、組織のゴールや目的として明確に意識できるものだ。逆に明確でないミッションというのは、たとえば「〜を通じて笑顔が絶えない社会を作る」といった、達成したか達成していないかがよくわからないようなものだ。こういった目標を追うのは、曖昧な気分になる。ミッションが不明確だと、自分たちが存在したことによって変わったか変わってないかがよくわからない。少なくとも、計測可能なものであるべきだ。

時折CEOは、「会社としていろいろなことをやる」ため、会社の目的であるミッションをあえて不明確にすることがある。これは最低のやり方だ。それは「ミッションはあくまでお飾りで、せいぜい会社に人をつなぎとめておくための道具だ」と言っているようなものだ。組織のためにミッションがあるのではない。ミッションのために組織があるのだ。

良いミッションは野心的である

明確だが野心的でないミッションは、「全国大会で金賞を取る」「国内での最短での上場記録を作る」「◯◯業界で世界一の売上を作る」とかそういった類のものだ。つまり、野心的であるとは、誰もやったことのないくらい難しく、それでいて実現されたときにワクワクするほどの変化を起こすものだ。上に挙げた例は、たしかに難しいことではあるが、その実現の前と後で世の中に与える変化が小さい。一部の人の共感は得られそうだが、より多くの人を動かすには少し物足りない。ただ、野心的だが明確でないミッションよりは、いくらか明瞭な行動指針になるだろう。

良いミッションはあなたが本気で信じている

明確で野心的なミッションを持つことは重要だ。だが、その二つよりも重要なことがある。それは、あなたが本当にそのミッションを信じているということだ。ビジョンやミッションは、人や株主をつなぎ止めたり、ウェブサイトに美しく掲げるためにあるのではない。あなたが本気で目指している夢でなくてはならない。本気で信じているかどうかを見極める一つの方法は、そのミッションが達成されたときに組織が解散してもいいと思えるかだ。実際のところ、組織のためにミッションがあるという状態に陥りがちだが、本来であればその関係は逆であるべきだ。株主がいるとか、会社として存続させないといけないといったしがらみはあるものの、創業者は常に自分らの目的を問い続け、ミッションのために組織があるという状態を保ち続けなければいけない。

よく、「ミッションやバリューを会社に浸透させるにはどうしたらいいか」という質問をされることがある。そのためには、まずは綺麗なミッションステートメントを並べて自分自身を騙さないことだ。逆に、組織の創業者や社長のような組織内で一番権力のある人が本気で信じているのであれば、組織は自然とその達成の方向に向かっていくだろう。組織を大きなことを言うために嘘をつくくらいなら、小さくても本気で信じているミッションを掲げる方が遥かにマシだ。

良いミッションは人を動かす

別に明確でないビジョンや野心的でないミッションを持つことがかっこ悪いだとか、それを達成することに意味がないだとか、そういったことを言うつもりはない。ただ、そういったミッションは人を動かす力が弱いのだ。逆に、良いミッションは人を動かす。人を動かすということは、良いミッションの特徴というよりはむしろ定義のようなものだ。ビジョンやミッションは人を動かして士気を高めるための道具ではないが、良いと思えるビジョンやミッションには常にそういう性質がある。報酬も、名誉も、自己存続も、自己実現も、自分のスキル向上も大事だが、それよりも人は使命や社会的意義を求めるものだ。

出典:【心理学】マズローの5段階欲求!実は6段階目の境地があった! — ドイツ横丁( http://psycholang.com/maslow-needs#i-6 )

マズローは人間の欲求は5段階あり、なりたい自分になるという「自己実現」をその最も上位の欲求として定義したが、晩年に6段階目があると気づいたらしい。それは「自己超越」の欲求で、「他人だけではなく自分の存在も超えて、世界中の人の幸せを願っている状態」のことだそうだ。私の解釈だが、これは世の中を良くする野心的なミッションやビジョンの達成といったものが、自己実現を超える人の本質的な欲求ということではないだろうか(少年ジャンプの読者には周知の事実かもしれないが)。

良いミッションは進化する

キングダム第三巻で秦王嬴政が口にした「中華を統一し、戦争を終わらせる」というミッションは、明確かつ野心的で、それでいて本人の原体験に基づくゆえ本人も心から達成を願う、素晴らしいミッションだ。

出典:キングダム 第三巻 40ページより <画像©原 泰久 / 集英社>

無論、作中では主人公 信をはじめ様々な人々を動かし、これにより自分自身以上の実力を持つ優秀な人材の登用が成功した。だが、その他にもこのミッションには素晴らしい点がある。それは、嬴政の成長とともにミッション自体も進化したことである。はじめは、「中華を統一する」「国境をなくす」「戦争をなくす」といった漠然としたステートメントが先行していたが、呂不韋(敵陣営)や斉王(隣国)といったステークホルダーに揉まれることにより「なぜ統一が必要なのか」「なぜ統一のために滅ぼされた側は不幸にならないのか」「武力で国を制覇したあとどのように統治するのか」といった点(詳細はネタバレゆえ自重)が埋まっていき、より強固なものになっていった。それとともに、ミッションが実現されたあとの世界のビジョンがより明確化していった。

最近では、額縁に飾られた美しい絵のようなミッションステートメントをよくみかけるが、ミッションとは絵ではなく、道標となる地図のようなものだ。地図は美しさよりも緻密で正確であることが重要だ。最初からそれは緻密である必要はないが、地図の示す地を歩き始めることで、地図を何度も書き直してより正確なものにしていくことができる。そのたびに、なぜそれをやる必要があるのか、実現した先の世界はどんなものか(これを私は「ビジョン」と呼んでいる)、終了条件は何なのか、そういったところがより強固になっていく。あるいは、その先に全く新しいミッションや目的が見いだせるかもしれない。

「自分は本当はこれがやりたかったのだ」と人生の中で気づくように、組織の目的も変わることもあるだろう。当初のステートメントと違っていたとしても、それはよりピュアなものになっているはずだ。変化を恐れてはならない。これはおそらく、ティール組織やホラクラシーの文脈でEvolving Purpose, Higher Purpose などと呼ばれるものだろう。

良いミッションの姿が見えていても、実際にそのようなミッションをピュアに追いかけていくのは難しい。外部・内部のしがらみからどうしても組織のためにミッションがあるという状態になりがちだし、私たちの組織LAPRASのミッションもまだ進化の途上であることは事実だ。ただ、明確で野心的なミッションを組織の構成員が心から追いかけることができている組織は、仕事の動機が個人の権利欲や自己実現の欲すら超越し、それが人間としての本能的な欲求と結びつき、いわば組織としてのフロー状態(”ゾーン”に入っている状態)に入っていると言えるのではないだろうか。そんな組織を、私は作りたい。

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Hiroki Shimada

CEO at Polyscape Inc. / Producer & Director of MISTROGUE / ex CEO at LAPRAS Inc. / MSc in Artificial Intelligence at University of Edinburgh